日本陸軍の歴史と研究拠点としての柏【柏の戦争遺跡②】

ロケット戦闘機「秋水」の燃料庫保存について、「柏の街探訪」に書かせて頂きました。
畑に大砲?!-幻のロケット戦闘機「秋水」 の燃料庫跡【柏の戦争遺跡①】 >>

その後、近代日本の航空史を専門家である柏稲門会の荒山彰久先輩から、柏飛行場の研究についてのお話をお聴しました。
柏市内にある燃料庫や掩体壕、高射砲連隊訓練棟の保存など個別課題として考えるのではなく、日本航空史における柏飛行場の位置付けと、柏飛行場と柏市の現代史についての関連をご指摘頂きました。
※荒山先輩が書かれた記事「柏の歴史・こぼれ話(3)~「柏飛行場」をご存知ですか?~」 >>

第一次大戦では航空機が存在感を増し、日本でも飛行部隊の組織され、昭和期に入ると、東京周辺への防空飛行場の設置が議論されるようになりました。当時、畑や牧だった千葉県の東葛地域(東葛飾郡田中村十余二)に陸軍の新飛行場を建設され、東京の立川から飛行第五戦隊が移転しました。以後、柏飛行場は「帝都」防空の第一線の航空基地となったのです。

そのようなわけで、先日、NHKでも放映されたロケット戦闘機「秋水」など、柏飛行場にまつわる軍事遺跡が残っています。

高射砲連帯照空隊の夜間演習
ラッパ状のものは、敵機の爆音を集め、
いち早くその方向を探る機器

そして、もう一つ注目すべきは、高射砲部隊でした。高射砲とは、地上から航空機を攻撃するための火砲です。柏には、高射砲部隊にまつわる軍事遺跡が各所にあります。

平成21年6月29日、富勢分署として移転新設されることとなった柏市消防局西部消防署根戸分署。この施設は、陸軍高射砲第二連隊設置時に建設されたことは分かっていたものの、建設時の 用途については全く不明でした。
柏市教育委員会は、記録保存の目的で、建物の図面作成を平成25年度末に専門家に依頼したところ、次々と新事実が判明していきました。

「照空予習室及測遠器訓練所」と呼ばれる高射砲連隊特有の演習施設であることが明らかになったのです。

「訓練棟は全国的にも珍しい、大変貴重な建物です」
訓練棟(照空予習室及測遠器訓練所)は、昭和10年代前半に建てられた高射砲連隊特有の建物です。現在国内に残っている同じ用途の建物は2棟、クレーン支柱がある構造になると国内唯一という大変貴重なもの。

照空予習室及測遠器訓練所1

照空予習室及測遠器訓練所2

    

照空予習室及測遠器訓練所3

    

柏飛行場は立川飛行場の最先端の実験的な性質を引き継いでいるという話もお聴きし、新領域の研究所がいくつもある東京大学があり、AI研究拠点が設置されている現代の柏の葉とつながるものを感じました。

たとえば、日立台や豊四季、気象台学校や市立病院なども、軍と切り離すことができないものです。藤ヶ谷や松戸の飛行場との関連も重要です。

柏市に置かれた軍事施設

柏飛行場の存在やロケット戦闘機「秋水」の開発は、戦後の柏の工業や経済の発展にもつながったと言えます。その歴史が埋もれてしまいそうなのが現状です。

ご紹介して頂いた「柏に残された地下壕の謎」という研究冊子は、1994年4月に東葛飾高校の社会科教諭(小野英夫先生と川畑光明先生)によって発行されたものでした。
1994年4月当時、私は東葛飾高校に在籍しており、川畑先生の授業を受けていた同級生の話を聞いたことを覚えています。私は、別の先生から日本史を教わりましたが。

研究冊子「柏に残された地下壕の謎」

日本航空協会の前身となる帝国飛行協会の初代会長は大隈重信だったこともあり、航空史を研究されている先輩からは、「進取の精神、学の独立」の熱い思いに触れることもできました。
高校や大学の不思議なご縁も感じることができました。

記:山下 洋輔