畑に並ぶ大砲のようなコンクリート筒の正体は?
ある畑に、大砲のようなコンクリート筒が6本並ぶ。
この畑は、柏市花野井に位置し、私有地である。無断で入って覗き込むわけにもいかない。コンクリート筒以外は普通に交錯されている畑であり、不可思議に思われる方も多いかもしれない。
同じく柏市花野井の住宅街に、コンクリートのトンネルのような構造物が残されている。少なくとも40年は閉ざされているという。
これらは、戦時中、旧陸軍・旧海軍が協働で開発を進めていたが試作機で終わった幻のロケット戦闘機「秋水」の燃料である高濃度過酸化水素を保管した燃料庫跡であったことが分かっていた。柏市に残る戦争遺跡なのだ。
平成28年に、この二つの燃料庫跡についての調査が行われた。
コンクリート筒が6本並んだ畑の下は、軽量ブロックで積み重ねられ、コンクリート(モルタル)で塗り固められた燃料庫であった。コンクリート筒は、大砲ではなく、換気筒の役割を果たしていた。
ロケット戦闘機秋水について
高度10000mを時速570㎞で飛行するB29爆撃機は、太平洋戦争中に日本の都市を焼き尽くした。そのB29 爆撃機への対抗策として、軍首脳が注目したのが、ドイツのロケット戦闘機Me163であった。石油が枯渇していた日本にとって、国産が可能な過酸化水素を燃料とすることも期待を大きくしていた。
ようやくドイツとのロケット機の技術供与の協定が結ばれたが、ドイツからの輸送中に爆撃されてしまい、何とか持ち帰った機体およびエンジンの設計説明書などの資料をもとに、ロケット戦闘機の国産プロジェクトが始まった。そこから生まれたのが「秋水」だった。
柏市の歴史を考える上での貴重な史跡
柏飛行場の存在やロケット戦闘機「秋水」の開発は、戦後の柏の工業や経済の発展にもつながったと言える。その歴史が埋もれてしまいそうなのが現状だ。まだ解明されていないことが多く、保存できるものは行政としても考えなければならない。
柏飛行場跡付近にあった秋水燃料庫跡の一つが2016年8月末に撤去され、もう一つも撤去されようとした時、市民団体から柏市議会に請願があった。議会により、現地を視察し、審議された。
調査研究、3Dデジタルアーカイブ化、公園内での保存と来園者への公開展示なども必要と考え、市内の戦争史跡の保存について、議会で問い質し、要望した。
視察では、飛行機を隠したという掩体壕(えんたいごう)跡も見ることができた。
柏の戦争史跡は、この秋水燃料庫だけでなく、根戸の高射砲部隊関連の史跡や飛行場関連の史跡もあり、全体で考えていかなければならない。
博物館を建てるということではなく、戦争史跡全体を歩くコースなどを定め、自然も楽しめるジオパークのような構想を進めていくことも必要ではないだろうか。
近代の史跡については、その歴史価値が認められないまま失われてしまった事例が全国でもこれまで多く見られる。ただ、この「秋水」の燃料庫については、公共の土地で現存するのは柏市だけとのこと。
軍都柏として、戦後の柏市の発展を知るために、そして平和を伝えていくためにも重要な史跡だ。
記:山下 洋輔