先人の知恵「円筒分水」

「我田引水」という言葉がありますね。他人の都合を考えずに、自分の都合のいいように物事を解釈することですが、これは「自分の田んぼだけに水を引き、他の人の田んぼのことを考えない自己中心的な行為」に由来しています。

水田での米の生産が中心だった日本では、川や湖沼からの水田への水の公平な引き入れは大きな問題でした。この課題を解決して正確な分水を実現できるのが「円筒分水」です。考案者は岐阜県の土木技師可知貫一で、1914年(大正3年)に岐阜県小泉村で日本で最初の施設が建設されましたが、残念ながら現存していません。
現存している日本最古の施設は、1931年(昭和6年)竣工の宮城県蔵王町にある「疣岩円形分水工」(土木学会推奨土木遺産)で現在も稼働中です。また、1941年(昭和16年)竣工の神奈川県川崎市の「久地円筒分水」は、国の登録有形文化財に指定されて観光資源となっています。

円筒分水の構造と仕組み

円筒分水の構造と仕組み

円筒分水の構造と仕組み

円筒分水の仕組みは簡単です。

取水河川等との高低差を利用するサイフォンやポンプを用いて、円筒状の設備の中心部に用水を下方から湧き出させ、円筒外周部から円形を利用して均等に越流させます。落下する用水を受ける外縁部に用水の配分比に合わせて仕切りを設置することにより、用水は正確に分配されます。

動力は注水のポンプのみで 仕切りの間隔がそのまま分水比を示すため、分配される水量が外観から把握でき、流量を勝手に変更するような不正が行われにくいとされています。つまり・・・我田引水はできないんですね。

手賀沼円筒分水への経路

この円筒分水が手賀沼周辺に2施設あり、その1つが柏市内に現存し稼働中ということで、五月晴れの中行ってまいりました。

住所は柏市柳戸、地図で検索すると手賀沼の南東部の併合される前は沼南町だった地域に位置しています。

円筒分水の位置(Google Mapより)

Webサイトの円筒分水を訪れたという記事には「迷った・・・」という記載が多いので、道に迷うことは覚悟の上で近くの「弘誓院(ぐぜいいん)」にナビをセットしてまずはそこを目指しました。無事に弘誓院に到着し、隣の「柏・ひがし聖地公苑」の駐車場に車を停めて、さてGoogle Mapを頼りに分水まで歩きます。

地図ではお寺の東の林の中に位置しているのですが、道は見つかりません。県道282号線に戻って暫く歩き、1時間に1〜2本しかない手賀農協前のバス停の先のコンビニを目印にその手前を左折すると、目の前は広大な畑でした。

下記に示すGoogle Mapの北西にある雑木林の縁を手前から迂回するように畦道を行き、なんとか円筒分水への細い入り口を見つけました。県道から2-3分ですが、看板などは全くありません。

円筒分水への経路(Google Mapより)

これが円筒分水

夏は鬱蒼と草が茂るに違いない雑木林の中で、静かな水音と共にコンクリートの施設が動いていました。

この円筒分水、一般的には手賀沼円筒分水と言われていますが「泉円筒分水」が正式名称で、昭和40年に手賀沼地域の農業用水の水源として整備され、現在は手賀沼土地改良区が管理をしています。毎分34m3を手賀沼からポンプで取水し、2ヶ所の地域に分水しています。

稼働は、水田に農業用水が必要とされる4月の中旬から8月中旬頃までの4ヶ月で、それ以外の季節は、水が抜かれた状態になります。
その時期に訪れると、構造がもっとわかるかもしれません。

雑木林の中の円筒分水

上から見る円筒分水

エネルギーを最小限に抑えて争いが起きないように公平に水を分配する先人の知恵「円筒分水」、ぜひ一度訪れてみてください。

次回は、ナビの目的地とした弘誓院をレポートします。

記:中村 恭子