手賀教会堂前の高田早苗博士

先月、この柏の街探訪で「社会事業の父・原胤昭」を取り上げた。
嬉しいことに地元出身の読者からの反響があり、手賀や布瀬の歴史を案内してもらうことになった。

先進地域だった手賀

手賀地域は、手賀沼や新利根川の交通の要衝として栄えた。明治時代には、この地にニコライ大司教によって、キリスト教(ロシア正教会/ハリスト正教)の手賀教会堂が建てられた。わらぶき屋根の和風の建築で、旧手賀教会堂として現存する。

http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/280400/p001477.html
http://orthodox-jp.wixsite.com/tega/tegakyokai

御茶ノ水のニコライ堂と同じ宗派である。
信者は、三百人を超えたという。明治期、キリスト教は、都市部で広がったと言われる。この地は、時代の最先端であったのだ。

柏に残る明治の産業遺産

先日、明治期からキリスト教を信仰されているお宅を訪問した。
紺屋と織屋を営んでいたお宅で、敷地内に染物と機械式の機織り工場が残されていた。

16台ほどの織り機が並ぶ姿は圧巻だ。
これらの機械の動力を作る機関場から織物工場に動力を伝えている。

いち早く明治の近代化を取り入れた地域の産業遺産と言える。

新手賀教会堂

わらぶきの旧手賀教会堂は史跡として訪問者は多いが、手賀狸穴(まみあな)の新手賀教会を訪れる人は、多くはないのではないだろうか。
新教会堂は、昭和49年(1974年)に建設された。

この教会堂に、山下りんの聖画が安置されている。

ロシア正教会などで多く見られる「八端十字架」が掲げられている。

新教会堂の向かいにある手賀狸穴(まみあな)公園は、最初に手賀東小学校が建設された場所である。
公園内には「東校建設記念碑」が設置されている。碑文を書いたのは、なんと「文部大臣•法学博士 高田早苗」。
稲門会の方はご存知の通り、高田早苗は、早稲田大学の設立者の一人だ。大学構内の銅像の前をよく通っていたはずだ。
筆者は、大隈重信と間違えて記念撮影していた人に注意したこともあった。小野梓も高田早苗も男性であることを、新入生に伝えたこともあった。
手賀狸穴で高田早苗博士に出会うとは、不思議なご縁を感じる。

記:山下 洋輔