近代社会事業の父・原胤昭

柏市手賀に、原氏の墓所がある。道路脇に小さな案内はあるが、名所として知られているわけではない。

原氏は、下総国相馬郡手賀の領主であった千葉一族である。この原氏では、元和九(一六二三)年に火刑にあった殉教したキリシタン原主水(胤信)が知られている。

手賀城跡

手賀地域は、手賀沼や新利根川の交通の要衝として栄えた。明治時代には、この地にニコライ大司教によるハリスト正教の手賀教会堂が建てられた(わらぶき屋根の和風の建築で、旧手賀教会堂として現存する)。信者は、三百人を超えたという。明治期、キリスト教は、都市部で広がったと言われる。この地は、時代の最先端であったのだ。

手賀教会

さて、お墓の話に戻る。この原氏の墓所に、小さな墓石が並んでいる。これらは、原胤昭が、前科のある人たちを更生保護し、埋葬したものである。先祖代々の墓所に、前科のある人たちを埋葬するというのは、時代状況や由緒ある家柄ということを考えると、周囲からの反対を押し切っての一大決断だったと想像できる。

墓所2

原胤昭は、江戸南町奉行の最後の与力であり、熱心なキリスト教信者だ。原女学校というキリスト教学校も建てている。自由民権運動時の出版で、自分自身も投獄され、監獄でひどい仕打ちを受ける。その経験から、監獄の改良を主張し、教誨師としての活動を始めた。また、原は、前科のある人たちは社会的な偏見や差別を受けるため、再犯が多いと考え、更生保護施設を東京・神田の自宅に設ける。さらに、低所得者向けの住宅も東京・田端に建てた。原胤昭は、そのキリスト教精神や最後の与力の記録として注目を集めてきた。今日、社会起業家として、ますます注目を集めるであろう人物である。

前科ある人たちを同じ敷地に埋葬した原氏の墓所は、原胤昭の精神を表現した貴重な柏の史跡である。

記:山下 洋輔