第44回定例総会及び‘24年新春の集いを開催!
幹事長 馬場 由彦(昭52・法学)
梅雨晴間、猛烈な暑さの7月7日(日)、第44回定例総会がクレストホテル柏にて開催された。大学関係、校友会千葉県支部、近隣稲門会、三田会の来賓もお迎えし、10卓79名の賑やかな総会となった。
プログラムは総会、講演会、懇親会の3部構成で、田中会長の挨拶に続き、提出された議事の3議案は原案通り可決された。
第2部の講演会は東葛川柳会代表の江畑哲男氏(S50・教育)をお招きし、「日本語の魔術師=川柳」と題して講演頂いた。普段何気なく使っている日本語の余韻と余情、あえて最後まで言わない日本語独特の表現などをわかりやすく説明された。長年、教壇に立たれていた江畑先生、多くのスライドやホワイトボードを駆使して、あっと言う間の1時間であった。

東葛川柳会代表江畑哲男様の講演
第3部、乾杯の発声は出席者最長老の長谷川武男さん(S26・政経)。続いて食事・歓談タイム、そして柏稲門会名物の「クイズ大会」。8問の難問に挑み、なんと6卓が同一正解数のため壮絶なジャンケンの後、上位卓より景品を全員が受け取った。
懇親会の最後は校歌斉唱。現役の応援部員・園木俊成さんのエールにより「紺碧の空」「都の西北」を大きな声で歌い上げた。
終わりは「早稲田の栄光」が流れる中、全員で集合写真を撮り、お開きとなった。
2年ぶりの新春の集い
2月5日(日)、「24年新春の集い」がクレストホテル柏で開催され、59名が集まった。
田中会長の挨拶に続き幹事の佐田悦望氏(S42・法)より「尺八の調べとよもやま話」と題して講演が行われた。宮城道雄の「春の海」など3曲の演奏と佐田さんの軽妙で笑いを誘う説明よる尺八にまつわるよもやま話、楽しい講演であった。

尺八の演奏尺八の調べとよもやま話
乾杯の発声は湯本治文さん(S29・理工)にお願いし、食事・歓談のスタート。歓談中に同好会の紹介、谷井由紀夫さん(S34・理工)の米寿のお祝い、初参加者2名の紹介などがあった。次にお待ちかねのクイズ大会。8問中6問正解のH卓が優勝し、成績順に景品を受け取った。
最後は田中会長自らの指揮のもと「都の西北」を全員で斉唱した。

新春の集い・集合写真
人生には、足し算の時期と引き算の時期がある。平均寿命から考えると、60代70代までは、足し算の時期。そして、80代からは引き算の時期に入ると思う。筆者はまさに引き算の世代。いろいろなことにピリオドを打ち、手放していく時期に入ったと感じる。引き算といえば、年下のいとこや友人が世を去り始めている。年下なのに・・・と、理不尽を感じるのは、こんな時だ。「生涯現役!」と頑張っておられる方々もいらっしゃるけど、人生は放物線、上がった球は必ず落ちる。高みから一生を概観して、すべてを納得して受け入れ、終わりたいものと筆者は思っている。
それにしても、筆者が憂う行く末は、子や孫たちのことだ。沸騰する地球、地殻変動が起きそうな列島で彼らは安全・安心の一生が送れるであろうか。彼らに残せるもの、彼らに伝えられる知恵など、乾草の一針にしか過ぎない。ただ、祈るしか手段がないのが残念でならない。
前川 晃子(S38・文)
下井 美智子(S41・商)
この夏久しぶりに実家に帰りました。
8月に待望の北陸新幹線が開通し車窓から 軽井沢の景色、長野の山、山、山、糸魚川からの日本海など美しい景色を眺めながら3時間半で武生につきました。
(大学入学時は東京への直通列車は夜8時発翌朝6時東京着の一本のみ、所要時間は10時間でした。夜行列車に乗っていると家出と間違われたこともありました。)
やっと駅につきましたがはてさて???右を向いても左を向いても前を見て後ろを向いても記憶にあるものは何もなく一瞬どこに来たのだろうと思いました。
在来線から遠く山を貫通して新幹線が開通しました。
今、福井・武生は恐竜博物館(勝山市)と今年のNHK日曜日大河ドラマの「光る君~」の紫式部で賑わっています。
小さい頃から紫式部の父君が武生の国府の長として赴任されていたことは聞いておりました。20年位前にいきなり式部公園ができましたがその史実に本当かな?との思いでした。テレビドラマで広く明らかにされ、人寄せスポットになっています。
街中もすっかり様変わりしました。今まで静かな文化のある町でしたが今や電車やバスは一様に大きな恐竜が描かれ子供に人気の町になりました。古墳発掘の近くには有名なホテルが(星のやホテル)など立ち並び、ドル箱に代わりました。今、福井は最近都道府県別ランキングで幸福度日本一になっています
是非お越しください。お待ちしております!
産業は繊維・メガネ 和紙 名所は永平寺・東尋坊・一乗谷遺跡 美味しいものは・越前蟹(かに)そして武生雑煮(主人の好物)です。

恐竜博物館にて
井上 晃(S55・教)
各地に、歴史ある城下町や有名温泉地はあります。美味しい食材や、景勝地、暮らしやすい気候などの特長のある町も珍しくありません。ただ、それらがそろった町というのは、それほど多くはないでしょう。松山は、そうした地方の魅力満載の町です。
とはいえ、私は根っからの松山人ではありません。父親が転勤族のため、実際暮らしていたのは10年ほど。松山の良さに気づかないまま上京し、早稲田に入学しました。松山は「帰省する町」で、帰省のたびに魅力を再発見してきたように思います。
まずお勧めは、松山城からの眺望です。穏やかな瀬戸内海と島々を遠景に、松山平野の温暖で肥沃な風土を感じさせてくれます。
また、瀬戸内海から豊穣に上がる、鯛をはじめ小魚や小烏賊、海老は現地でぜひ。(あまり知られていませんが、夏の芝海老の塩ゆでは絶品です。)柑橘類もその多様な種類と味覚の違いに驚かれるでしょう。
名湯道後温泉の風情や、城下町らしい歴史や文学の雰囲気、レトロな路面電車も実感していただきたいところです。「坊っちゃん」や「坂の上の雲」も、遠い過去ではなくなります。
まだまだ魅力を紹介しきれませんが、松山は俳句の町でもあります。私の好きな、正岡子規の句です。
春や昔十五万石の城下かな 子規

松山城からの景観
井内 康文(S40・政経)
わが郷土・阿波の徳島は国宝がない唯一の県である。それがヤセ我慢のお国自慢。現在、国宝は1,137点。うち美術工芸品906点、建造物が231件(295棟)もあるというのに情けない。寂しい話である。隣の愛媛県はすごい。10年ほど前に徳大付属中学の同窓会が道後温泉であった。観光で大三島の大山祇神社宝物館を見学した。
斉明天皇が白村江の戦いに際し戦勝を祈願して奉納したという唐時代の禽獣(きんじゅう)葡萄鏡をはじめ源義経が屋島の合戦に勝利した後、奉納した「八艘飛びの鎧」など国宝が8点。他にも重要文化財の刀剣類が多数。「国宝の島」だった。
しかし徳島には日本三大盆踊りの一つ「阿波踊り」がある。例の「踊る阿呆(あほう)に観る阿呆」である。中学3年の体育の2時間は踊る練習だった。「嗜みとしてしっかり覚えておけ」。「エラヤッチャ」と左右の手足一致で踊り進むのが基本技だ。
踊りにちなんだ戯れ歌「阿波の五阿呆」は阿波ならぬ阿呆自慢だ。「阿波に五つの阿呆がある。踊る阿呆に観る阿呆 大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)。その上に鳴門の渦は左巻き」。大歩危、小歩危は吉野川上流の急峻な渓谷で、歩いては危なくて渡れないという名勝地だ。近くに有名な祖谷の「かずら橋」が架かっている。鳴門の渦が常に左巻きか、は保証できない。

かずら橋(井内悦史様撮影)
高井良 靖喜(S43・教育)
明治4年の第一次府県統合により現在の福岡県には、小倉縣(豊前)、福岡縣(筑前)そして三潴縣(筑後)の三つの縣が誕生した。このうちの三潴縣は廃藩置県で配置された久留米県・三池県・柳川県からなり、現在の久留米・大川・柳川・大牟田・八女・筑後などで構成されていた。以下に三潴縣を紹介する。
幕末の久留米は久留米藩で有馬家が藩主。競馬の有馬記念は有馬頼寧が中央競馬で始めた。石橋正二郎設立のBSも久留米が発祥の地。大川は日本一のタンスの生産地として知られていたが、今ではロッカーが重宝されていて嫁入りダンスは消失。上質のかまぼこは平成天皇と美智子様のご成婚の際に供された。古賀政男生誕の地でもある。柳川は柳河藩で立花家が藩主。北原白秋の生誕地で、柳川の川下りや二段のウナ重も有名。鎌倉時代から戦国時代まで蒲池家(柏稲門会の蒲池氏のご先祖)の領地。大牟田は三池藩で藩主は立花家だった(柳河とは別の立花家) 1738年に三井三池炭鉱で石炭採掘がはじまり、良質炭だったが1997年に廃坑。八女は高級茶として有名な八女茶の生産地。作家の五木寛之、女優の黒木瞳ゆかりの地。当地の日向神ダムは八女地区のみならず大牟田工業地帯への重要な電力供給源。
この様に三潴縣は多くの都市を抱えて出発したが僅か5年後の1876年に小倉縣と共に今の福岡県に併合された。その時三潴郡としていくつもの町村を抱えて出発した。しかし殆どが久留米市・筑後市・大川市に吸収され今では三潴郡は大木町のみの一郡一町となっている。

柳川の川下り
恵木 勝弘(S43・政経)
小学一年から高校三年まで過ごしたふるさとの広島県三次市(みよしし)は、日本海と瀬戸内海の中間の盆地で、両海の中継地として発展しました。地名の漢字と読み方が定着したのは、江戸時代、浅野長治が五万石の三次藩主になった以降です。長治の娘、阿久里姫(後の瑤泉院)は赤穂藩主浅野長矩に嫁ぎ、長矩が吉良上野介と刃傷事件の末切腹したため悲劇の主人公になりました。鳳源寺では、大石良雄手植えの桜、瑤泉院の遺髪塔、47義士堂等所縁のものがあります。長矩は鵜飼を導入し、今でも観光名物になっています。
広島県に降る雨の30%が集まり、三つの川が合流し江の川として日本海に流れています。このため霧が発生し易く「霧の海」の見物でも有名です。
三次は、出雲の尼子対山口の大内と毛利の連合軍との戦場でもありました。毛利は(三次の隣りの吉田町出身)その後、中国地方全体を征服したことはご承知の通りです。広島県内に分布する古墳の40%が三次盆地にあり、みよし風土記の丘で、見学できます。
三次に所縁のある著名人の一部の方々として、升田幸三将棋士、奥田元宋日本画家、中村憲吉歌人、金藤理絵五輪競泳金メダリスト、プロ野球選手の梵英心及び永川勝浩(広島)、二岡智宏(巨人)、福原忍(阪神)など居られます。

鳳源寺の47義士堂
粟村 頼子(S39・教育)
和歌山県出身というたび、「和歌山ってなにもないところだね」と返される。当たりでもありはずれでもある。
和歌山県は南北に長く面積の81%が山地。少ない平地の殆どが和歌山市を中心とする北部にあり当然人口もそこに集中している。一方私が育った南紀は山が直接太平洋に切れ込む。平地はところどころにある川口部に少々あるだけ。陸地の直ぐ近くには黒潮が流れている。走る列車は山と海の境を数知れないほどのトンネルをくぐりながら海岸線を行く。
そう紀南地方には山と海と空があるだけ。熊野とも呼ばれ、古来都から見て隅(隅っこ)にある辺境の地、神々が隠れ住む異境。また死者の魂が行き着き大自然の力により再びよみがえるところ。この再生の地という言葉が平安時代になって熊野信仰を盛んにし、山の奥深くに鎮まる熊野三山に向かう熊野古道を生んだ。
昔から熊野三千六百峰といわれ、同じような山々が幾重にも重なり合っている。日本アルプスのように高く美しい山があるわけではないが、奈良吉野から紀伊半島南端まで重なり合って続いているやまなみは美しい。山は日本中どこにでもありそれぞれ特色があって素晴らしいが、同じような山が連なっているこの風景はここだけ。これを遠くから眺めるのも、またこの中を歩くのも私にはふるさとの一番の景色だと思える。

熊野のやまなみ
会員近況
私の近況について
湯本 治文(S29・理工)
お陰様で卒寿を過ぎました。ゴルフは卒業し、運動は介護の体操と歩くこと、それには生まれつき心臓負担の少ない短足です。健康については、主治医推薦の、1日5000歩の徒歩と3か月に1回の内科、外科それに歯科のメンテナンスです。
老化と言えば、記憶力低下です。昨日の食事内容は忘れても古い話を思い出す程度、PCはメールを少々扱い、TVはNHK主体で他にショウ(翔)タイムを楽しみます。
私の信条はダラリの法則(ムダ、ムラ、ムリしない)で生活して来ました。
趣味の第一は柏稲俳句会の俳句です。万年初心者級、難聴で皆さんに援助願って頑張っています。趣味の第二はウォーキング兼バードウオッチング。最近は宅地化で白子鳩、雉は居なくなりましたが、大堀川周辺を歩き、カワセミ、子千鳥、いそしぎ、つぐみ、ヒバリ、百舌鳥を観察しています。
大体90%の友人は彼方に行きましたが、小生一世紀生きる予定ですので今後ともよろしくお願いいたします。
近況報告
岡田 智佳(H12・法研)
大勢の方にご支援頂き、昨年8月、柏市議会議員3期目の当選。現在は、4名からなる会派の長として活動しています。3期目となって一番変わったことは、市民からの相談が激増した事。地域の相談から家族・家庭の相談まで、また、女性議員ならではの相談もあります。解決できないこともありますが、多くの市民の方が頼って下さるのは、非常に嬉しいことです。
なかなか時間がとれない中で、シニアをサポートする活動を始めました。社労士の人脈を使い、法律家による遺言書の書き方や制度の利用の仕方といった終活セミナーも、定期的に開催しています。最近は、私のように子供のいない人も増えており、ニーズが増えているのを感じます。
こうして一日懸命に仕事をして疲れて家に帰ると、愛犬ムサシが出迎えてくれます。若いころに思い描いていた50代とは随分違いますが、今の自分の環境に感謝し、引き続き今できることを精一杯やっていきたいと思っています。
ゴルフ同好会
世話係 中山 嘉清(S51・政経)
ゴルフ同好会は『柏稲魂会』の名称で平成17年(2005年)に第1回のゴルフコンペを開催して以来、今日まで47回の開催を継続する伝統ある同好会です。
基本、年3回(4月・9月・12月の平日)の開催を企画、昨今参加人数が減少傾向ですが取手稲門会や柏三田会の方々の参加も得て4~6組で和気藹々とラウンドしています。
この他にも「千葉県下稲門会親善ゴルフ」等にも幅広く参加しておりゴルフ好きの方は奮って入会下さい。
千葉県支部囲碁大会で優勝
囲碁同好会世話係 久慈 勝男(S42・政経)
2023年10月1日、津田沼囲碁クラブで行われた稲門会千葉県支部囲碁部会(会長片岡安紀)主催の第16回囲碁大会において、柏チームが優勝しました。
柏は4回目の優勝で船橋と並び最多優勝回数となりました。代表選手は久慈勝男、堀切善男、高井良靖善で、一回戦で強豪船橋、二回戦で我孫子を撃破し、決勝で二回目の優勝を狙う佐倉と対戦しましたが、二勝一敗でしのぎ優勝の栄誉勝ち取りました。
柏囲碁同好会は、毎月第二、第四土曜日に午後1時から柏駅東口の囲碁クラブ「棋苑」で碁会をしており、入会歓迎です。
ご宮崎初代会長が本年8月17日身罷られました。
師は、’60に入学、早大囲碁会の副将・幹事長として、会員の棋力評価段級位の質の維持強化に辣腕を振るい、早稲田囲碁の隆盛(全日本大学囲碁選手権67回中15回優勝東大14回)の礎を築いたといわれています。
’65卒以降も千葉県稲門会の囲碁普及発展に尽くされ、千葉県支部囲碁部会(’05)、柏稲門会囲碁同好会(’04)の立上げ・初代会長として、千葉県支部大会開催16回参加累計1460人等の実績に至るまでを牽引されました。
また、「オール早稲田囲碁祭」数度の優勝、千葉県支部大会4度の優勝等柏稲門会の活躍は、師のご自宅を囲碁道場として開放され20数年に渡りご薫陶戴いた御蔭にほかなりません。重ねて御礼申し上げます。
再拝 柏稲門会囲碁同好会々長 片岡 安紀
柏の歴史・こぼれ話 (13)
柏の歴史について書かれていて、図書館で借りたり、古書店で購入することもできる書籍について述べてみよう。
① 千葉県東葛飾郡誌 大正12年(1923)発行
今から一世紀前に刊行されたこの大冊(約2500頁)は、東葛飾郡教育会によって編纂され、記述は地勢・気象・動植物などから、土地、官公署、神社、寺院、学事、産業、財政等と広範に及ぶ。当時の柏(千代田村)については、村誌としてわずかに記載されているだけだが、記述は万般に渡って柏のことが出て来るので、手元に置いて活用するとよいだろう。
② 柏、その歴史・地理 相原正義著(崙書房刊)平成17年刊
柏駅近辺・南柏・豊四季・十余二・戸張等と地域別に地誌、歴史、現況などが解り易く書かれている。
③ 歴史ガイド「かしわ」柏市教育委員会発行 平成19年刊
簡便な歴史ガイドとして手元に置き、市内の各所を訪ねる際に一読すると、歴史、自然、文化、主要人物などについて理解し易い。
④ 柏の自然を歩こう 柏市環境部発行
こんぶくろ池自然博物公園ハンドブック NPO法人こんぶくろ池自然の森発行
いずれも写真や絵を多く取入れ、子供でも解り易く解説している。




宇佐見 房司(S37・商)
令和7年(2025年)の「新春のつどい」は2月2日(日)、「第45回総会」は7月6日(日)、ともにザ・クレストホテル柏で開催の予定です。是非、お知り合いの校友にお声がけし、お誘いください。
稲門会員は日本各地からの集まりです。特集、「私のお国自慢」は楽しい企画だったと自賛です。寄稿者に感謝。(YM)
皆様のお国自慢を拝見していると、山や川…まさに唱歌「ふるさと」の景色が目に浮かびます。生まれてからずっと東京の私には羨ましい限りです。(KN)