柏・松ヶ崎出身の偉人、芳野金陵

幕末から明治維新期。国内の財政は厳しく、政治制度もほころび、海外からの圧力が激しい時代に、学問は何ができるのか?そんな問いに答え、社会に向き合ってきた儒学者たちがいました。芳野金陵(1803~1878年)もその一人です。

芳野金陵は、安井息軒と塩谷宕陰とともに文久の三博士と称される学者です。田中藩の改革を実行し、国防問題や大学改革への提言を行っており、学者だけではない活躍をしています。明治維新後も、新政府の大学の教授になりました。幕府時代から明治新政府への移行期に、一貫して「官学」の教官を務めた人物として、歴史上で重要な存在です。

金陵は、松ケ崎村(現・柏市松ケ崎)の医者・芳野南山の次男として生まれました。ちなみに、長男の子孫が医業を続け、現在の巻石堂病院となります。


柏市教育委員会と大学の研究者とともに、芳野家で保存されていた金陵先生関連の文書を調査

2015年、芳野家が所蔵されている史料が柏市に寄贈され、昌平坂学問所など幕末から明治にかけての教育制度や幕末の学問の動向、久坂玄瑞との交流が明らかになりました。


脚注 機密扱いだった「蝦夷図」(北海道の地図)の写しが芳野家から発見され、金陵が幕府の重要なポストにいたことが想像できる。

儒学といっても、幕末動乱の現実への解決策が求められるようになっていた。金陵は、海外事情にも通じ、国防について幕府に意見を述べていたと考えられる。

その調査成果がまとめられ、2015年10月~2016年2月、柏市郷土資料室で芳野金陵展「金陵~近代日本を見据えた松ヶ崎の大儒~」が開催されました。
二松学舎大学の九段と柏の両キャンパスでも「芳野金陵と幕末日本の儒学」展が開催されました。柏市と二松学舎大学の共催の企画です。
市内に大学があるということは有難いことで、こういった連携は大切にし、もっと地域と大学との協力が深まればと思います。

本来、芳野金陵は、もっと注目されるべき人物です。史料が調査されることになり、今後は評価されていくことになるでしょう。柏の郷土の歴史のみならず、日本史の中で芳野金陵が位置づけられます。

記:山下 洋輔