柏の歴史・こぼれ話(5)~小林一茶と柏~

16歳で故郷、柏原を飛び出して来た一茶は、江戸で俳人となり下町に住んだ。彼の親しい俳人、スポンサーの多くは、ここ東葛地区に住んでいたので、彼はよく柏近辺を通って旅をした。流山の秋元双樹、馬橋の大川立砂、守谷の鶴老和尚などなど

その頃の柏は、小金、我孫子のような宿場町ではなく、一寒村でしかなかった。享和3年(1803)10月、前の晩に双樹宅に泊まった一茶は、日記に次のように記している。

「篠籠田より呼塚村に出る。流山から我孫子まで三里

〝霜どけやとらまる枝は茨也〟」

市内の篠籠田より呼塚に出、我孫子を目指したのであろう。霜どけのぬかるみ道は大変なもの。滑らぬよう道端の木の枝につかまたっら、トゲのある茨だったという訳。一茶さん、大へんでしたね。

写真は、あけぼの公園(柏市布施)の一茶句碑

稲門会だより 10号より