江戸時代の水戸街道は千住宿を起点に水戸に至る脇往還道路で、現在は旧水戸街道と呼ばれている。南柏駅前を過ぎると、左手に常磐線を陸橋で超える道路が見えてくるが、それが旧日光東往還道である。
この分岐点に野馬土手に囲まれた木戸があり、茶屋もあった。幕末には番人がそこを通る人の身元を調べていたようで、関所の役割も担っていた。その木戸をくぐると将軍直轄の小金牧の中の一つ、上野牧に入った。
小林一茶が「永き日や煙草法度の小金原」と詠んでいるように、牧内は火気厳禁で煙草も禁じられていた。牧内は一面、原っぱで、通行人が迷わないように街道に沿って松が植えられており、馬が日よけする姿も見えた。
街道を進むと、現在の柏神社のあたりで牧から出た。柏神社は八坂神社の牛頭天王の勧進に始まるところから、天王さまと呼ばれて親しまれていた
記:久慈勝男(42・政経) 稲門会だより 11号より