5月23日(木)、2019年11月に六義園・駒込界隈を歩いて以来ひさびさに散策の会を催した。
しばらくぶりのうえ4才も年令を重ねたので歩き回るのを避けて全コースを船で回るクルーズを選んだ。
江戸時代、物流や遠出の際の足として舟が多く使われ、そのため、どの都市にも川や堀などの水路が縦横に走っていた。しかし近代化と共に舟から列車や車へと移動手段が変化すると共にそれらの多くは埋め立てられ、道路に変ってしまった。今回のコースは埋め立てを免れた日本橋川を遡り神田川に入り隅田川を経て再び日本橋川を上って日本橋下に戻る90分コース。川船という低い目線から東京を眺める。
当日午後1時の便を予約。集合は20分前。乗船前にネット検索で選んでもらったお店でランチをとることにした。11時30分の開店15分程前に到着。先着数人の後に並ぶ。開店と同時に満席。常連らしい客に習って全員ハンバーグ定食を注文。おいしくて満足したが量が多くて、やっと時間に間に合うよう完食。
定刻少し前に日本橋下の桟橋で乗船。定員44名、くぐりぬけていく橋の低さに対応した屋根のない神田川クルーズ専用に設計した船なので、上方の景色がよく見える。左右のベンチに分かれ前向きに坐る。出発。ベテランらしい女性ガイドが同行する。
まず日本橋の下をくぐり川上へ。この時橋桁で現在の水位を確認。川に浮かぶ船、その上の道路、更にその上の高速道路。これを一番下から眺める。日本橋川の上はすべて首都高速道路におおわれているので、この日も日差しがあったものの傘も帽子も必要ない。しかし、この近辺では10年後の完成を目指して4月から高速道路の地下化が始まっていた。そうなればなににも遮られることのない日本橋を再び見ることができるだろう。船は常盤橋、JR外堀橋梁、鎌倉橋、神田橋、なじみのある名前の橋の下を次々とくぐっていく。工法はいろいろ。関東大震災後のものが多い。常盤橋の近くの地上では日銀本店、反対側には渋沢栄一の銅像。視線を川にもどすと江戸城にゆかりのある石垣が残っている。石には島津家や前田家などの印がついたものも散見できた。やがて頭上の高速道路は分かれていき、中央線が見えてくる。その先には東京ドームも。三崎橋を過ぎ神田川に入り右折する。
神田川は江戸初期に神田山という台地を開鑿して隅田川へと流れをつけかえられた。この工事を命じられたのは仙台伊達藩で1620年から約40年かけて完成させた。それで仙台濠とも呼ばれた。その結果、水道橋駅付近からお茶の水駅あたりまで深い渓谷となり今でも緑豊かな景勝地となり、浮世絵にも数多く描かれている。
神田川はJR中央線、総武線の真下を並走する。線路がカーブしているところでは電車は川の上にせりだすように真上を通り過ぎて行く。かなりの迫力。御茶ノ水駅も面白い。中央線は次の神田駅に向かって先頭はかなりホームが下がっている下降体制。反対に総武線は御茶ノ水駅を出ると急上昇。この感覚は電車の中では殆ど判らない。船はお茶の水駅、聖橋を過ぎると赤い真っ赤な車体の丸ノ内線の電車が川の直ぐ上を横切っていく。右手上に中央線・総武線の電車が来合わせることも。ここはこのクルーズのベスト ポイント。良いシャッターチャンスを狙って一時停止をする。再び船は動き出す。
前方の高い総武線神田川橋梁を超え、低い位置の昌平橋、万世橋、浅草橋、柳橋を通り過ぎて隅田川へ。隅田川手前の柳橋付近では屋形船の乗場があり、多数の屋形船がもやっている。
隅田川に出て右折し河口へ向かう。川幅が広くなり、同時に視界も大きく開けると低い船体はうねりを受けて左右に大きく揺れる。すぐに両国橋、首都高、新大橋を通り抜けたところで左岸から小名木川が合流する。合流地点の芭蕉庵史跡展望庭園に芭蕉翁の座像がある。夕方になると座像の向きが変るという。清洲橋を抜けたところで振り返って清洲橋とスカイツリーの2ショットを撮ることを薦められるが、横揺れが大きくなかなかシャッターを押せなかった。しかし青い空、青い川、横にひろがる清洲橋、縦に伸びるスカイツリーは確かに美しい。
隅田川大橋(首都高9号と二層式)をくぐり永代橋の手前で再び日本橋川に入る。そして豊海橋を過ぎ抜けたところでまた首都高が頭上に現れる。鎧橋のそばの兜町では東京証券取引所が見える。江戸橋ジャンクションを過ぎるとまもなく終点。出発した日本橋桟橋に戻ってきた。午後1時に出発して90分。この日の満潮は2時55分だからまもなく満潮。出発時に確認した水位は60㎝ほど高くなっていた。このツアーはそれぞれの興味「江戸時代」、「鉄道」、「建築(橋)」などに応じて楽しめる。ガイドさんの案内も素晴らしく十分満足できた90分だった。