画家、髙島野十郎(やじゅうろう)が最晩年を過ごした増尾の地域に住んでいること、そして野十郎の遠縁の女性(奇しくも同年代の、大学の英語講師を務めた人)と知り合うご縁に恵まれたことで、私はこの記事を認めさせていただく。
残念なことに、その女性は友情を深めるいとまもなく、突然、逝去してしまわれた。一度だけ訪問した横浜のご自宅で、野十郎の五重塔の作品(青空を背景に塔の上層部が描かれたもの)を見せていただいて、野十郎の静物画に描かれているティーポットで入れた紅茶をご馳走になった懐かしい思い出がある。
2000年に柏高島屋で開かれた回顧展を見るまでは、髙島野十郎はまったく知らない画家であった。親しい友人に勧められ、そしてポスターの烏瓜の絵の見事さに魅せられ、会場を訪れた。
以来、追っかけのように野十郎展を見て歩くことになる。
細密な写実描写は、画壇の潮流とは全く無縁に過ごした野十郎独自の静謐な精神世界を表出している。写実派の絵画を見ても、うまくかけているなあと感心することはあっても、心の中を揺さぶられるような感動を覚えることはない。
しかし、野十郎の写実画は心の中の深みへどんどん降下して行き、自己と現実を対峙させる精神活動を始めさせるのである。
彼の作品では、火のともる蠟燭の絵、月が光る夜の闇を描いた絵などが知られている。
後者は、増尾に住んで描かれたものと言われている。その頃の彼のアトリエ兼住居の写真が残されているが、それは現在、増尾西小学校の運動場に接した遊水池の、通りを挟んだ向かい側であると、野十郎と交流のあった増尾の住人、伊藤氏が教えてくださった。
当時、写真ではそこは平坦な畑が広がっていて、中心部に小屋のように質素な家があり、それが彼のアトリエであった。高齢での独り暮らしを案じた近隣の女性が食事を届けても、野十郎は受け取らなかったという。その地も今は、びっしりと住宅が立て込んでいて、50年前を偲ぶよすがはなにも残っていない。
野十郎の作品は彼を発掘した福岡美術館が多くを所蔵しているが、柏市も数点を所蔵していると聞く。彼の生誕150周年は17年後。その折には回顧展が開かれるかもしれない。
東京大学の水産学科を首席で卒業したのに恩賜の時計を辞退。官僚の道、学者の道も選ばず、増尾の地で“乞食画家“と呼ばれることもあった生涯を送った髙島野十郎。
出身は九州・久留米の旧家。私にはとても気になる”孤高の画家“、そして“魂の偉人”である。
記:前川 晃子