松ヶ崎城遺跡は、平成14~15年度に遺跡の範囲や内容を確認する目的で発掘調査が実施され、平成16年に柏市の指定文化財(史跡)に指定された。
平成22年から、河津桜が植樹され、現在ではおよそ80本になり、近年2月末~3月初めにはソメイヨシノに先駆けて我々を楽しませてくれる。JR北柏駅を下車し北西方向へ徒歩10分ほどの台地にある戦国時代(15世紀後半から16世紀前半)の中世城跡である。
手賀沼が海だったころ、手賀沼は、利根川、霞ヶ浦や印旛沼と繋がっていて、その周辺にヒトが住むようになった。太平洋から手賀沼を経て、大堀川や地金堀、大津川といった小さな川によって内陸部へ物資が行き来していた。松ヶ崎城があった戦国時代も手賀沼は水面から近く、この台地は丁度「岬」のような場所だったらしい。
松ヶ崎城遺跡は、半島状台地の南端を、土塁や堀で囲み曲輪=郭(堀や石垣などで仕切られた区画をいう)とした、小規模な単郭の城跡である。
曲輪は約60m四方の方形で東と北、西の三方を囲む土塁(土を盛り上げて築いた砦のようなもの)があり、さらに土塁の東と北の土塁の外側に顕著な堀が認められる。
曲輪の南側、台地斜面上には、2か所の腰曲輪(本丸などの周りに盛られた細長い土壁のようなもの)が並べて築かれており、その内西側の広い曲輪に倶利伽羅不動尊が祀られていた(平成7年焼失)。
郭内は平坦ではなく、全体的に北から南へ緩やかに傾斜していて、内部は更に南北に延びる土塁で区画されている。
松ヶ崎城跡は山林に覆われていて、遺構の残存状況は良好であるが、明確な築城の時期や築城者は不明である。このような水上交通の要所を抑える城は軍事施設の性格を持っていたと推測されている。
松ヶ崎城址のある松ヶ崎地域は、手賀沼の西端に位置し、15世紀の香取神宮文書には香取社仮殿の瓦木が相馬松崎(現・松ヶ崎)より舟で運び出されていたことが記されている。また、城跡の東方、JR北柏駅の東側一体、根戸の地には中馬場遺跡、北の内遺跡、法華坊遺跡が点在している。これらの遺跡は、古代から中世・近世まで継続的に続いた古代集落跡で、柏市内でも有数の複合遺跡であるが、既に発掘調査が終わり、令和5年現在、宅地、道路の造成が行われている。
河津桜の時期には是非訪れて、中世への想いを馳せてみるのも一興である。
記:向山 嘉幸