定例総会を3年ぶりに開催!!
幹事長 馬場 由彦(昭52・法学)
第42回定例総会が、3年ぶりに7月3日(日)、ザ・クレストホテル柏にて開催された。異例の暑さの中、60名が参加し、総会、講演会、懇親会の3部構成で実施。
先ず、田中会長の開会挨拶の後、議案はいずれも原案通り承認可決された。新役員の久慈勝男さんと山下洋輔さんが挨拶。続いて来賓代表の早稲田大学理事の井上文人様と千葉県地域コーディネイター、藤村京子様からご挨拶を頂いた。
第2部の講演会は、『東京2020ボランティア体験記』と題して、柏稲門会会員の安藤達夫さん(48理工)による講演だった。1年延期のオリ・パラは、無観客という異例づくめだったが、安藤氏は表彰式担当として活躍され、メダルの重さを実感。また、君が代を聞きながら日章旗を仰ぎ見たときの感動は、生涯忘れられないとのことであった。早稲田とオリ・パラの歴史なども興味深いものだった。
第3部は懇親会。校友会千葉県支部の渡邉進様のご挨拶の後、最長老の長谷川武男さんのご発声で乾杯、食事・歓談がスタート。各同好会の紹介後、組橋俊郎さんへ米寿のお祝い品を贈呈した。
今回初参加の5名の新会員の紹介の後、アトラクションである。例年のクイズ大会は「密」なることを懸念し、テーブルごとの「あみだくじ大会」へ変更した。各テーブルの代表がホワイトボードに貼られた「あみだくじ」に番号を記入、そして1番を引いたテーブルから順次景品を受けとった。バラエティーに富んだ景品は何を頂いても嬉しいものである。
懇親会の最期を飾る校歌は、斉唱ではなく「清聴」にした。コロナのため大声を出せないので、YouTubeから応援団のエール動画をピックアップ、それをスクリーンに映し出し、参加者全員マスクをして小声で歌った。
最後に実行委員長より閉会の挨拶。コロナ禍の不安を抱えながらではあったが、久々に集い、対面で歓談することができた。総会の一連の行事は、和気あいあいの雰囲気の中、お開きになった。
「賭けない」「飲まない」「吸わない」をスローガンに健康麻雀を謳っている雀荘は、半分以上が高齢女性で賑わっている。高度成長期の70年代、男性だけのタバコの煙がまん延した雰囲気とは、全く変わっている。▼「脳トレ健康麻雀教室」プログラムは、麻雀ゲームを通じて知的機能を使う習慣を身につけ、認知症を予防することを狙いとしている。また、日ごろから知的な機能を使う生活をしている人は認知症になる危険性が少ないことが分かっている。▼認知症になる前には、出来事や体験を記憶して思い出すエピソード記憶、目標を決め、手順を考える計画力、注意を切り替え、いろいろなことに注意を配る、注意分割機能が落ちるとのこと。▼認知症にならないためには、認知症になりかけの時に落ちる機能を重点的に鍛えることが有効である。▼このように麻雀は、認知症になりかけの時に落ちる機能を鍛える要素を持っている。これまでの研究でも麻雀ゲームは認知症予防に役立つことが示されている。全く麻雀をしたことのない初心者に是非ともトライして欲しいものだ。
(S39・教)
前川 晃子 (S38・文)
友人夫妻と3人で丸いテーブルにつく。すると、まず巨大な蕎麦粉のクレープがふんわりとテーブルクロスのように卓上全体を覆った。そして、次々に運ばれてくる料理。煮込んだ肉、炒めた野菜などが蕎麦粉のテーブルクロスの上に並べられていく。私たちは、テーブルクロスを千切っては料理を包み、口へ運んだ。味がどんなだったかは、もはや覚えてはいない。美味しかったか、普通だったか。多分、“普通”だった。テーブルに料理を運んでくるエチオピア人の女主人と友人の夫がフランス語で会話しているのに私は気を取られていた。女主人の夫もテーブルに挨拶に来た。フランス人だった。
このご夫婦、今もあのレストランを続けているのだろうか。50年もの昔、ワシントンD.C.にあったエチオピア料理店。案内してくれた、世界銀行に勤務していた友人の夫は、近年亡くなったが、友人とは今も50年来の交流を続けている。ミネソタ大学、国際センターの“留学生の妻の会”で出会い、終生の友となったご夫婦だった。夫はアイルランド、妻はスリランカの出身の人目を惹く、かっこいい国際結婚のカップルだった。蕎麦粉クレープの食卓は、この夫妻との数えきれない素敵な思い出の一つである。
有居 晃(S40・理工)
私の妻は京都生まれ、京都育ちと言う事もあり季節や行事ごとに色々な料理を作って食べさせてくれます。お正月のお節料理、雑煮は元旦が関東生まれの私に合わせてすまし雑煮、 2日は関西風の白みそ雑煮が決まりとなっています。2月は節分の恵方巻、初午のいなり寿司、3月はひな祭りのちらし寿司、7月初めの半夏生にはタコを、7,8月の土用丑の日にはうな重、う巻玉子、うざく、9月のお月見団子、クリスマスのローストチキンと続きます。
料理は味が一番大事ですが、妻は目でも味わう事を重んじ、料理の彩や盛り付、そして食器も料理に合わせて選び、その季節の花(桜や紫陽花など)や、もみじ葉、木の芽、南天の葉など庭からつんで料理にあしらって居ます。その日の料理が決まったら先ずはテーブルセッティングから始めています。料理だけではなく春と秋のお彼岸のおはぎを始め、季節や行事にちなんだお菓子も手作りしたりしてティータイムに出してくれます。6月30日の夏越しの祓えの日には京都で必ず食べるという和菓子「水無月(みなづき)」を予約しています。
家内は料理の写真を撮る事も趣味で、子供達にはスマホで、友人知人にはPCメールで送っています。そんな妻に私は感謝し、妻の手料理を毎日美味しく喜んで味わっています。
田中 博昭(S47・文)
以前、随分以前、某料理研究家だったか評論家だったか、「北九州と言う地域は、糠味噌にとって、気候風土が一番合った土地だ」と書いたものを読んだことがある。
高校を卒業し、関東へ出てきて、これは美味しいと思う糠漬物に出会ったことは無い。母の糠床は三代前からの物だった。糠味噌を使った郷土料理として、鯖の糠味噌焚きというものがある。その美味たるや比べ物がない。鯖を普通に甘辛く煮込み、煮込んだ鯖に糠味噌を乗せ、とろ火で暫く煮るだけ。しかし、ここに、初めの煮込み方、乗せる糠味噌の量、とろ火の時間等々、コツがある筈。
本来、家庭料理で、糠味噌の味が違うように各家庭の味は違う。母が亡くなった今は、うちの糠味噌焚きは食べられないが、数年前、北九州の何軒かの店で「じんだ煮」という名前で売り出されていたのには驚いた。一番美味しいと思ったのが、先日、二度目の大火事でニュースになった、小倉の旦過市場にある「藤田」という店だった。家内も「お母さんの味だ」と言っている。今も少しだけうちの冷蔵庫には残っているが、妹からの連絡で「藤田は焼けた場所の反対側だったので、手に入る」とのことだった。蛇足。鯖の糠味噌焚きはテレビ「秘密の県民ショー」にも登場したことがある。作って説明していたのは私の叔母だったことを後から聞いた。
下井 將惟(S38・理工)
東京大空襲を逃れるために疎開した信州伊那は地産地消に恵まれ、幼心に干柿・干芋・蕎麦掻きは三大美味であった。
蕎麦掻きはお湯の温度と量・掻きまぜ方が美味のかんどころであった。伊那は信州そば発祥の地、行者そば発祥の地と言われ、奈良時代修験道開祖の役小角が西駒ケ岳に登る途中に麓の住民の温かいもてなしの礼にと与えたそばの実から栽培が始まり、数百年を経て行者そばは信州一円に拡がったとの伝説に由来する。高遠そばは保科正之公の転封により、伊那から山形、会津そして江戸へと拡がった。行者そばは焼き味噌と辛味大根おろしを入れたつゆで食する。
現役時代の後半、太平洋クラブ御殿場コースでゴルフをする機会が多々あった。富士を背景にプレイした後はおきまりのコースとして、裾野の風情豊かな古民家「喬仙坊」に立ち寄り、蕎麦づくし(そば茶、せいろ蕎麦、田舎そば、時には特注の生一本、そば豆腐、小田巻き蒸し、そば串焼団子など)を満喫、氷酒が美味を助長してくれた。本社勤務時代は「室町砂場」や「かんだやぶそば」を時折商用に利用、天ぷら蕎麦は美味しかった。
柏稲門会ごとでは、柏ステーションモール「柏・一茶庵」で鴨汁せいろ蕎麦とそば焼酎にて一献傾けながら、合同俳句集「柏稲」第一集編纂の実務打ち合わせをしたのは4年前のことになる。
湯本 治文(S29・理工)
現在 食欲旺盛。未だダイエット中リンゴ、トマト、キューイは味で選びます。
好きな食物:就学前 柴又帝釈天の草団子、映画の寅さんと同時代の経験になります。太鼓焼 関西回転焼 関東今川焼 要は下町業平息子、高級和洋食知らずでした。
下手物(げてもの)食:ホピロン(家鴨卵で孵化直前を茹でたもの)油蝉幼虫を焼いて食べるロブスター風味、昆虫蝗の佃煮、蜂親子炒るか生は甘い、赤蛙焼くと結構な味。牛蛙(うしがえる)脚は美味いが幼生(おたまじゃくし)は実に不味い。
珍味食:キャビア、フォアグラとトリュフ世界の3大珍味を現地食でした、次にエスカルゴ 台湾のカラスミが美味。国内では鮟鱇の肝 皿鉢(さわち)料理 三平汁 きりたんぽ鍋 フグ刺身 水炊き等は美味でした。家庭では筑波山近辺米(女房筑西市出生)と仙台の赤味噌汁です、具は羅臼昆布とメークイン等、副食は栄養バランス採れればみんなOK。
蛇足、長生きの一言:長年体重制御 大学卒業時の診断書51kg現在62kg中太り。
学歴は幼稚園中退、小学校時代に皆勤賞。中、高、大学は戦中派。今や耳ダメ歯目(はめ)まーまあ前立腺肥大有。願わくは白寿百%の天国行き。終わりに柏稲門会の益々の発展と伴に皆様の健康を祈念致します。
久慈 勝男(S42・政経)
中央省庁による海外事情視察団の一員としてドイツ、フランス、英国、米国を回ったときのことである。ドイツ外務省主催の昼食会に招待された。森の中の館といった風情のレストランで食前酒からデザートまでのフルコースで、フランス料理と異なった食材の良さを生かした質実剛健な料理を堪能できた。
中国へは度々行っていたが、Hグループ会社の日中合弁会社設立の事前折衝に同席したことがあった。国営企業の工場見学、経営陣との会議の後に宴会に招待された。主催したのは省共産党の幹部で、有り余る料理、白酒による乾杯の連続であった。翌日の腹もたれ、二日酔いはなく、中国食の多彩性とヘルシーさには食文化の歴史の深みを感じた。
ボストンでハーバード大学教授の自宅に招待された時の食卓も印象に残っている。居間で男性三人がお酒を飲みながら談笑していると、夫人が食卓に誘ってくれる。他の招待客も加わり男女三人ずつの食卓であった。自家製のワイン、普段の食事の延長といった家庭料理に加えて心づくしのご飯も用意されていた。身内だけでの会話はまったくなく、その社交マナーにはワスプを感じさせられた。
食は文化水準を示すものであり、交流と理解の源泉だと思われる。
会員近況
きをつけ! 回れ右 直れ!
髙井良 靖喜(S43・教育)
傑出した才能を持ち合わせない私は常に人生の岐路では周りの人のお世話になって今日まで生きてきました。そんな中で、私の印象に残っているいくつかの言葉を紹介させていただきます。先ずは小学低学年の頃近所のおばあさんにお嫁さんの件で言われた言葉
「仕事は片道でやったらダメ。往復でやる事が大事な事」即ち、何かを持って行ったら手ぶらでなく何かを持ち帰る事。良い例はウエイターが料理を運んだら、テーブルにある食べ終わったお皿などを持ち帰る事。
「長幼の序」これは大学生時代にいた学生寮の同室者で高校の先輩に教わった言葉です。
「あなたの給与はこの金額です。異論があればその根拠を述べて下さい」就職二次面接で副社長からこのように言われ、驚きました。当時の私はよもや給与が交渉事とは思っておらず与えられるものと思っていました。これに依って5W1Hが大事である事と理路整然としたものの見方考え方が大事である事を教えられました。
「体調が悪いと心配しているようだが、自分で心配しても仕方ない。あなたの医者に考えてもらいなさい」これは香港時代のボス(米国人)に言われた言葉で、典型的な欧米の合理主義と適材適所を勉強しました。
は今も「人の振り見て我が振り直せ」の毎日ですが中々進歩しません。
私の近況
山下 洋輔 (H14・教育)
この一年で、環境は大きく変わりました。2021年秋、10年勤めた柏市議会議員を辞し、柏市長選挙に立候補。先輩方はじめ多くの皆様に応援いただき、43,834名に投票していただきましたが、落選。臥薪嘗胆。諦めず、次の市長選挙に向けて修行中です。選挙後、ご縁あって、AI(機械学習)を活用して水道管等のインフラ劣化予測のソフトウェアを開発している企業(Fracta Japan株式会社)の政策企画部長として勤めています。シリコンバレーが本社ですが、創業者は早稲田大学出身の同級生です。同級生の創業者に応援してもらいながら、政治活動を続けています。
これまでの議員経験を活かし、官民連携の橋渡しをし、水道管等インフラの老朽化や自治体財政の課題に取り組んでいます。議員の時とは違う形で、社会にインパクトを与え、良い未来を作っていきたいと活動しています。選挙や政治の世界では、志を立て、裸一貫で、海千山千の先輩方と腹を割って対話したり、大組織と張り合ったりしながら、胆力が鍛えられました。そんな経験が、今、ビジネスや日常にも活かされています。奇策やハッタリも使ったりもしています。市民のため、理想を求め、より良い社会の実現を目指して働くことは同じであると気付かされます。実は、44歳となって、初めての「サラリーマン」です。厳密に言えば、高校教諭として勤めてはいましたので、ビジネスの世界での仕事は初めてです。先輩方からのお話をもっとお聞きしたいです。
早稲田大学の先輩、杉原千畝記念館訪問記
柏ビレッジ稲門会 吉村 忠比古(S48・商)
バルト三国の一角、リトアニアを訪問する機会があり、母校の先輩、「東洋のシンドラー」杉原千畝氏の記念館を訪問した。その旧日本領事館(杉原千畝記念館)では杉原氏が「命のビザ」にサインしたであろう執務デスクに座り、当時の杉原氏の姿に思いを馳せ、少し離れた場所にある通称「杉原桜公園」にも足を伸ばした。公園の顕彰碑の白い石板には、母校早稲田大学からのメーセージが次のように記されていた。
「故杉原千畝氏は1900年に日本に生まれ、早稲田大学在学中の1919年に日本国外務省の留学試験に合格してハルビン学院に学び、その後外交官になった。1940年駐リトアニア共和国領事代理の時代に、身辺に迫る戦争の危機の中にありながら、必死の覚悟と信念を以って、亡命ユダヤ人約六千名に対して一か月にわたって査証を発給し続け、彼らの生命を救った。これは戦争時における輝かしい人道的行為として歴史に記憶され、永く語り継がれるべきものである。ここに早稲田大学は、校友として世界に誇るべき氏の功績を称えて記念碑を建立するとともに、リトアニア共和国との学術交流による友好関係がさらに深まり花開くことを祈念して桜の樹を植樹するものである。2001年10月2日 早稲田大学」
昨今新聞やテレビ等を通じて、権力に迎合・忖度する余り正義を歪めてしまう情けない官僚の姿に度々接するが、予想される不利益などは顧みず(事実帰国後外務省は解職)、毅然として自らの信念に基づき、権力に逆らってビザを発給し続けた杉原氏の様な人間こそが真の早稲田人と呼べるのではないでしょうか。私がリトアニアを訪れたのは冬だったが、機会があれば公園の約200本の桜が満開となる5月初旬から中旬頃に同地を再訪し、改めて杉原先輩の偉大な功績を称えてみたいと思っている。
柏の歴史・こぼれ話 (11)
我が家から5分も歩くと大堀川に出る。流山市内と柏の葉公園を水源とするこの川は、高田、篠籠田の人々に親しまれ、田畑への重要な水源となってきた。私も幼少期から昭和橋近辺で魚採りや水遊び、蜻蛉取りなどに親しみ、道路が水没する台風時の有様に驚いたりもしてきた。昭和橋が水につかったことも昔はしばしばだった。「うなぎの水切り場」の説明版が設置されたり、鮭の俎上が話題となったことなども・・・。
西光院は、室町末期に創建されたとも言われる真言宗豊山派の古刹で、お盆の獅子舞で有名であるが、この舞も元禄期に雨乞いの為に始まったと言われ、古くから大堀川に沿った水田耕作に適した篠籠田の地で、この舞がはじまったことも頷ける。境内には、延宝年間(1670年代)の地蔵仏、十九夜観音仏など石仏が多数ある。古くから稲作にとって大切な水を大事にし、竜神信仰が生まれ栄えたことがわかる。
大堀川には、近年両岸に遊歩道が出来、桜並木なども整備されつつある。橋も多く、西光院裏手の新橋から始まって、新堤橋、勝橋、高田橋、昭和橋、松ヶ崎橋、木崎橋と多数ある。レクレーション公園も出来つつあり、将来が楽しみな場所だ。)
宇佐見 房司(昭37・商学)
令和5年(2023年)の「新春のつどい」は2月5日(日)、「総会」は7月2日(日)、ともに会場はザ・クレストホテル柏で開催予定です。
今号より紙面での「たより」のレイアウトを横組みに変更しました。いかがでしょうか?(KN)