柏の歴史・こぼれ話(10)「豊四季団地」地域の変遷

この辺り一帯に広がっていた幕府の放牧場「小金牧」の広大な土地は、明治初期には開墾地となり、東京の人々や近隣小作人の2、3男などの入植がはかられた。開墾地は、明治2年の「初冨」から始まり「二和」「三咲」「豊四季」と続き、豊四季には、約250戸、1,000人の人々が入植した。

時は移り、昭和初期には花野井の地主、吉田甚左衛門が自分の土地と合せて約10万坪の土地に、1周1,600mの「柏競馬場」を新設。昭和3年には、第1回の競馬会が開かれ、併設されたゴルフ場と共にその後長く続いた。しかし、第二次大戦の勃発と共に、この辺り一帯は軍需工場化が図られ、この地には日本光学が進出してきた。戦後になって一時は競馬場として復活したが、都心への通勤圏の拡大とともに、ここを敷地として、5階建103棟、約5,000戸、25,000人が住むマンモス団地「豊四季団地」が建設され、入居はサラリーマンの憧れの的となった。

時を経て、建物の老朽化、住民の高齢化に伴い、団地棟の大巾建て替えに際し、高齢化への対応策や建物の高層化、戸建て化等をどうミックスして考えるか・・・など課題は多い。今後さらにこの地域をどう変化させ、有効活用していくかを、多角的に検討せねばならないのではなかろうか。

※本記事は、柏稲門会だより 第15号(2021.12発行)からの転載です。

記:宇佐見房司