柏の歴史・こぼれ話(9) 善照寺と一遍上人

善照寺は柏市唯一の時宗寺院(鎌倉時代晩期の1302年開山)で、所在地は布施弁天から1kmほど南西の布施北部である。南に1km強進むと北柏駅に至るが、この周辺は旧石器時代から連綿と続く集落で、中馬場遺跡と呼ばれている。手下水海(現在の手賀沼)を望む住みよいエリアである。9世紀初め、下総国府(市川市)と常陸国府(石岡市)を結ぶ坂東大路が新設された。下総国府を出ると茜津駅(柏市藤心)を通り中馬場遺跡のあたりで東に向かったが、そのまま幸嶋郡(猿島郡)方向に伸ばした線が相馬郡と葛飾郡の境界であった。鎌倉時代になると、鎌倉と各地を結ぶ街道が整備され、流山から布施を経て手下に至る道が賑わうようになったという。

一遍上人は時宗の開祖といわれるがそれは後世のことで、信者とともに遊行する念仏聖衆に過ぎず、時衆と呼ばれていた。また踊り念仏は一遍に始まるものではなく、平安期の口称念仏の祖空也上人によるとされ、一遍以外にも一向俊聖などいくつかの念仏宗派があった。
一遍の遊行は五一歳で入寂するまでの15年半にわたった。その範囲は岩手県から鹿児島県にまで及んだ。当初は南無阿弥陀仏と唱えることで成仏できると説いて念仏札を賦算していたが、踊り念仏を始めたことで布教は民衆を惹きつけるようになった。
善照寺は一遍の最初の弟子で遊行を共にした他阿真教の開山とされている。他阿は一遍が入寂した後、残された時衆とともに深山に分け入り念仏して死を待ち望んだが、山の領主による熱心な説得から遊行の継続を決意したという。他阿は遊行だけでなく寺院の創建に努めた。時宗寺院の三分の一は他阿によるといわれ、他阿は二祖と呼ばれている。
善照寺を訪ねると境内で一遍上人像が迎えてくれる。本堂内には鎌倉時代作の阿弥陀三尊立像(市指定文化財)が安置されている。施餓鬼(8月21日)と十夜(1月10日)に開帳されるので、訪問して元寇があった時代に思いを馳せるのもお勧めである。

※本記事は、柏稲門会だより 第14号(2020.12発行)からの転載です。

記:久慈 勝男